米沢織について
米沢織物の歴史
米沢織のはじまり~麻織物から絹織物へ~
慶長5年、関ヶ原の合戦で豊臣方についた上杉軍は、会津120万石を没収され、米沢30万石に移封となりました。藩主上杉景勝公の側近だった直江兼続は、領地が4分の1にされた藩の収益の増大をはかるために、さまざまな政策を実行しましたが、そのひとつが桑、青苧(あおそ)、紅花などの換金植物の栽培でした。
それから約200年の時を経て、本格的な米沢織として開発したのは第9代米沢藩主上杉治憲(鷹山公)でした。当時、経済的に苦しい状況にあった藩財政を立て直すために、武士の婦女子に内職として機織を習得させたのが米沢織業の発祥とされています。先進地だった新潟県の小千谷より技術者を招き「縮布(ちぢみふ)」の生産に成功し、以前からあった青苧(麻)を原料とした麻織物から、置賜地方の養蚕業を基礎とした絹織物製造に移行し、出羽の米沢織として全国に名声を馳せることになりました。
(米沢繊維協議会ウェブサイトより引用) https://www.yoneori.com/what/